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MR.お〜!について

“自分らしく生きる”中で転職を重ねた経験を中心にお伝えできればと

このたび編集長をさせていただくことになりましたMR.お~! です。

令和に入り、転職事情も大きく変わっています。編集長の私が昭和、平成、令和と転職事情を駆け抜けてきた経験を活かし、皆様の転職のお手伝いが出来ればと思いながらペンを取らせていただいています。まずは簡単に私のプロフィールを紹介しますのでご覧ください。

正社員にこだわった20代

学歴、それは転職する上で重要な要素を持っています。そう言っている私の最終学歴は大学中退、書類選考上は高校卒業と同じです。ところが時には大学に入った事実が評価を受けたりと、転職事情は学歴で全てが決まるわけではありません。

私の20代の転職経験はこんな感じでした。

大学中退後、求人雑誌を見て応募した企業は3社。1社は電車の遅延で面接に遅刻し不合格。もう1社は第一志望のマスコミ関係。そして残りの1社が入社した商社です。

「食べていくためには雇ってもらえるだけでもありがたい」と思いながら、商社で3年働きました。石の上にも3年と昔から言いますが、やはり3年働くと忘れていた夢を思い出すものです。

そして3年後、一番希望していたマスコミ関連企業(広告会社)への転職を果たしました。当時はまだ90年代、ネットも普及していませんし、転職エージェントもいませんから求人はハローワーク。2回の試験と最終面接は相談相手もなく、独学で臨んでの合格でした。

ステップアップを求め転職した30代

30代に入る前、社会に出て5年以上が経過すると同期との年収の差が気になり始めて来ます。そして結婚という生活を支える現実がのしかかってきます。夢叶って志望する業界に入ったものの、年収は同期と比べても低い自分がそこにはいました。

朝早くから夜遅くまで、時には締め切りに追われ会社に泊まり込み。結婚しても家を空けがちの毎日。そこでまた転職が頭をよぎります。

そんな時に取引先が会社内に広告宣伝部門を設立し、最終的には子会社としての独立を考えているという話が舞い込んできました。ヘッドハンティングです。年収は転職と同時に1.2倍になりましたが、このステップアップはそんなレベルではありませんでした。

当時考えた企画が大ヒットし、転職1年後には取締役に昇進。3年後には子会社化された宣伝部の社長になり、年収は2,000万円を超えるまでに成長。30代のステップアップは大成功に思えたのですが、人生そんなに甘くありませんでした。

求人広告、転職エージェントに振り回された40代

大成功だった30代の転職の代償として残ったものはいくつかありました。働き過ぎによるうつ病の発症、家族との関係も疎遠になり離婚。幸いうつ病は奇跡的に治癒したものの、私の周りには何も残っていませんでした。

そして迎えた40代、本当に自分が何をしたいのかを改めて考え始めます。自分で自分を見つめることは言うほど簡単ではありません。最終的にライターとしての独立が私の落ち着いた先でした。

そうは言いましても40代の未経験ライターを採用する企業は皆無に等しく、どんな仕事でも依頼があれば書きました。もちろんそれだけでは食べて行けません。ですからアルバイト、契約社員、本業とは別に「生活を支える仕事」を持つダブルワーカー生活が続きました。

この間に働いた人材紹介会社でこの業界の現実を直視した経験は、とても大きいものがありました。その経験は今でも様々な面で役立っています。

そんな私にも再婚のチャンスが訪れます。結婚とは犠牲も多く「好きなことだけして生きていて良いのか」を考え直すきっかけになりました。その時にお世話になったのが転職エージェントと呼ばれる人たちでした。

この選定を誤り、私はかなり痛い目を見ました。結果的に今は仕事にも恵まれ、フリーランスライターとしての独立も果たし、ダブルワーカーも卒業。転職エージェント企業とは良くも悪くも関係は終わりました。

まとめ

ここまで読んでいただくとお分かりいただけると思いますが、転職に一番重要な要素は「学歴」だけではなく「若さ」も大きな要素を持っています。若いうちの転職は「学歴」以上に「やる気」と「実力」で、いくらでもチャンスを広げられます。

反して40代を過ぎてからの転職は、相当しっかりした転職戦略がなければ成功できないのが現実です。

ここまで読んで下さった方の年齢は様々でしょうが、皆様の年齢に合わせた転職事情をご紹介できる経験を持っていることは、お分かりいただけたと思います。「自分の転職には何が必要なのか」私の打ち出す情報が皆様のお役に立つことが出来れば幸いです。